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『ヤング・アーティスト』の誕生
今日は『バリ絵画』に新しいスタイルが生まれた
ちょっといいエピソードがあるので
紹介したいと思います

 1960年代”アーリー・スミット”という名のオランダ人画家が
バリに移り住んできました

ある日彼が庭でスケッチをしていた時
一人のバリ人の少年が
スミットの描く絵を横でじーっと眺めています

やがて少年は黙って地面に絵を描きはじめたのです
スミットが紙と絵の具を与えたら、
目に映る周りの家や森や木をはっきりとした線で描き出し、
驚くべき素晴らしい色彩感覚で色を塗って
仕上げていきました。

それはスミットがそれまで見てきた”バリの絵”にはない
鮮やかな色調のまったく新しい感覚の絵だったのです

アーリー・スミットはこの少年の才能に驚き、
もっと描くようにすすめました。
しかし少年の父親は
アヒルの番をする者がいなくなるから、
絵なんか描かせている暇はない、と反対します。

そこでスミットは少年の父親に
”アヒル番”を雇うためのお金を払うということで
父親の許しを得る事ができました

少年は来る日も来る日も絵を描き続けます

スミットの目に狂いはありませんでした。
少年の才能は、またたく間に芽を伸ばし
父親に牛を買ってあげられるほどの絵描きになっていきます

これをきっかけに
スミットは子供達を対象にした絵画教室を開き、
少年はまわりの子供達をさそって絵のグループを作り
活動の輪が広がっていきました
子供達は伝統的な手法にとらわれず思いのままに色を使い
自由な発想で絵を描きます
多くの若い画家がプロとして生まれ、成功をしていきました。
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スミットが与えた
紙と絵の具と
少年の代わりに雇う”アヒル番”のためのお金、
たったそれだけでしたが
一人の少年のなかに眠っていた才能が
芽を吹き、花を咲かせ
力となって沸き起こり
のちにバリ絵画に新しい大きなうねりをもたらしていったのです
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『ヤング・アーティスト・スタイル』という
新しい絵画の波が訪れた瞬間でした。


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先日友達があるサイトに
「西アフリカのコートジボアールで
たくさんの少年がだまされて売られてきて、
「奴隷」として働かされている

若者や子供が、軍隊へ強制的に徴兵され
小学生ほどの年齢の子供が誘拐、脅迫、暴力を受け
兵士として使われている」

という記事を掲示板に載せられたのを読みました


また下記の内容は
ケニアでHIV/AIDS事業に取り組んでおられる友人からのメッセージです
「チャイルド・ドクター…NPO国際医療協力機構」

「あなたが夜10時に寝て、朝6時に起きるまでに、
ケニアでは、エイズで32人の子供がなくなります
予防も治療もできる病なのに…」
一人でも多くの人に世界の現実を知って頂きたいと、
現場から現状を発信し続けておられます


世の中には
物を与えられすぎて
自分の生きる道さえ自分で選べない子供たちもいます

紙1枚と絵の具を与えられだけなのに
ひとりだけではなく、二人三人と
周りの子供達の潜んでいた力まで呼び起こし
大きな力となって新しいものを生み出すエネルギーを得た
子供たちもいます

片や奪われるばかりの悲惨な子供達が
世界の至るところで、
私達の目に触れないところで
想像できないほど過酷ななかで
叫び声をあげている子供たちがいます

輝くはずの原石なのに
咲くはずの花の芽なのに…

私は単純に「子供たちに、紙や道具を与えよう!」
とだけ言っているつもりはありません

どんな環境であっても
子供のなかには無限の可能性を秘めた才能や力をもっていて
見つめる目の先には溢れる好奇心があります
そして動物的な生きる力を持っています


でも子供だけでは生きていく力は足りません

私達大人は
子供のなかにある力を見つけ、
見つめている目の先にあるものに気づき
引き出していける役割を持っています
そしてそれを育て、守っていかなアカンと思うのです

こんな思いで

次回の『アユちゃんの絵』を紹介する前に
『ヤング・アーティスト・スタイル』の誕生のエピソードを
書きたくなりましたので

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【2007/02/28 18:36】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
『アユちゃん』とウブド芸術
今日『アユちゃん』のお母さんが持ってきてくれたのは、
「チャナン・サリ」というお供え物で、
新月のお祭りのためのものです

お供え物の話ではなく、
今日は『アユちゃん』が主役です。
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『アユちゃん』は、
以前ラグラグで働いていた女性従業員デサの姪、
すなわちデサのお兄さんの子供です。
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    ↑デサ


私がバリにいない時、愛犬のシロを
お世話して下さっているのが、
デサのご家族です
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   ↑子供達と  シロのお尻もいっしょに→


私は『アユちゃん』が産まれたときから、
彼女の成長をみてきました
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  ↑アユ 1歳もうバリの正装を身にまとっています


小さい頃は人見知りが激しくって、
バリ人以外の人種にはギャァ~~と泣き叫んだそうです

私に関しては、
多分デサや家族が
「あの人には泣いたらあかんよ」
と言い含められていたのか、結構懐いてくれていて
家に行くとお猿のように飛びついて抱きついてきます
また帰る時は
「うわぁ~~ん~~!!アユも行く~~!」
と泣いてくれたりして…
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  ↑その頃のアユちゃん 1歳6ケ月


そんなふうに懐いてくれると人間というものは、
気分がいいに決まっていて、
相手に対して可愛さが増すものです

私も「アユ、アユ、アユちゃ~~~~ん」

デンパサールのデパートへ連れて行って、
乗り物乗せたり、パヒュ~ン、パヒュ~~~ンというゲームさせたり、
”ピザハット"でピザ食べて、
帰りにはおもちゃ買ったりと、

おばあちゃんが孫に好かれたい一心で、
なんでもやっちゃう~~というあれ…

まだ言葉も片言の頃から、
踊りが好きで、
デサが”レゴンダンス”のバックで奏でるガムラン音楽のフレーズを
口で”♪♪ツンツンテンテン~~♪シャンシャンティ~~ンティ~~ン♪”
と伴奏入れると、
オートマティックに『アユちゃん』は首や目を器用に動かし
踊りだしたものです

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同居している親戚のお姉ちゃんが習いに行くのに付いていくだけで
まだ習ったわけでもないのに、
この成りきった腰つきや、表情、たいしたものです!

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バリではどの村でも楽団や舞踏団が結成されています
特にウブドは芸能、芸術の村として有名です

ウブドを散歩していると
どこからともなくガムランの音が聞こえてきます
その音楽にあわせ
お寺や村の集会場などで子供達の踊りの練習風景にであいます
20070224170733.jpg



子供達にとって音楽も踊りも生まれた時から、
すぐそばで触れることのできる身近な伝統芸能なのです
そして、それは自然な形でからだに染み込んでいるようです


観光客用に催されている
バリ舞踏のひとつ”ケチャダンス”
お父さんに抱かれた小さな男の子が、
会場の門の外から眺めています

…ウブドで催される舞踏の公演は
寺院や集会場などの屋外会場なので、
誰でも外から覗くことができます。
後半近く門の外から眺めていると、
会場の入り口にいるスタッフが
「なかに入ってゆっくり観なさい」と笑顔で誘ってくれます…

「この子は赤ちゃんの時からケチャが大好きでねぇ
ケチャが催されている時は、
こうして毎晩のように連れてくるんだよ」
と嬉しそうに話すお父さん

ケチャの音を身体に刻み込んでいるように
その子の見入っている目つきは真剣そのものでした

ウブドはバリ絵画の中心地でもあります
渓谷やライステラスなど素朴なで田園風景に囲まれた
自然豊かな美しい村「ウブド」に魅せられて、
1920年後半頃から
外国から芸術家や文化人達がに移り住んできました

当時の血生臭い大戦の傷跡に疲れ果てていた
西欧の彼らにとって、
南国の花が咲き誇り
美しい海に囲まれた「バリ島」


そのなかでもひときわ神秘的な
『ウブド』は
深く濃い緑の森には精霊が棲み、
独特の音階で人々を癒すガムランの音が響き、
神々と共に生きる人々の祈る姿が島中を覆う

更に芸能と芸術がびっしり詰まった
魅力溢れる『最後の楽園』

だったにちがいありません


西欧の画家達の描く遠近感のある絵は
当時のバリの絵描き達に新鮮な驚きと影響を与えました

*バリの画家達に多大な影響を与えたドイツ人画家
ヨーロッパでも名の売れた一流画家であった
『ウォルター・シュピース』(1895~1942)が
1927年ウブドに住み始めアトリエを構える

”シュピース”の持ち込んだ絵の具や筆、キャンパスなどの道具、
西洋絵画の技法は
それまでのバリ絵画の技術やスタイルからすれば、
すべてが未知の世界
まさに西洋のルネッサンスを目にした如く
バリの画家達に衝撃を与えます

そして彼らも遠近法学び、
盛んにキャンパス画を書き始めました
シュピースはバリの伝統絵画に革命をもたらした人物なのです…

そして、彼こそが有名な「ケチャ・ダンス」の考案者なのです
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   ↑ウォルター・シュピースの絵「チャロナラン」


それまでバリ絵画は遠近感のない平面的な図柄で描く
ヒンドゥ教の神話などの宗教色の濃い題材がほとんどで
また絵は木綿の布に描かれていました


長い歴史を持つバリ伝統絵画から
新しいスタイルの絵画も次々と生まれてきました

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どうも私の話はすぐに脱線してしまうようですね…スミマセン
結局今回は「バリ絵画の世界」に触れて終わりましたが
ウブドにはいくつもの優れた美術館やギャラリーがあります。
50年前に”ウォルター・シュピース”がまいた種は
ウブドに多くの優秀な画家を生み出しました
森羅万象を描くウブド絵画が
町や村に風景の一部となって溶け込んでいます

次回はそんななかで育った『アユちゃん』の続きを書きます
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【2007/02/24 18:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
1日だけのお供え物”チャナン”
アユちゃんとお母さんがラグラグのオフィスにやってきました
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アユちゃんのお母さんは、
毎日ラグラグへお供え物を持ってきます
私達はそれを買います


バリ島では毎日のようにどこそこかで
お祭りや儀式が行われています。
村を歩けば、いつもどこかで祈りの風景に出会います

それはバリの人達の生活のなかで、
最も重要で、それでいて空気のような自然さで
日々執り行われています
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それに欠かせないのがお供え物です。

お供え物には祭礼や儀礼によって形も変わるし、
数え切れないほどの種類があるようです
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  ↑私の部屋の外にもお供え物を置いてくれています

道端で、店先で、門や戸口、ホテルやレストランの庭や座席の下、
スーパーのレジの上や車の中など、
あらゆる所で見かけるあの小さな四角いお供え物:チャナン

朝と夕方、道端やお店やホテルなどで、
サルン(腰巻)を巻いた女性が
お供え物に、
パッパッと聖水をかけて、
静かに祈りを捧げながら色んな場所に置いていく風景を目にします
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チャナン作りは女の人の仕事で
花や草、自然のものだけで作ります
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コマンに教わって
私も何度かチャナン作りを体験しました

コマンが「こうして、ああして、ここを切って、
右にくるりと回して折り曲げて…うん、そうそう…」
と丁寧に教えてくれるのですが
不器用なもんで、すぐ挫折

コマンがナイフ1本だけで器用に
椰子の葉を切り、あれよあれよという間に
ジグザグに切り込みいれたり、
編むようにして葉を重ねたり、
それを竹ひごで留めたりしながら、
色んな形のチャナンを作っていきます

祈りの時に指の間に挟んで使う、
花とコインを中に詰めた
扇形の細工を施した、小さなお供え物も
椰子の葉を折り重ね、マジックのように器用に仕上げていきます
それを幾つも幾つも作るのです
たった一度で捨てるのに

彼女達はナイフを手前から外側に向かって動かすんですね
私達とは逆なので
見てるだけで、手を切りそうで怖くって

全てのものに神が宿ると信じられ、
テレビなどの電気製品、
また机や本の上などに置いて、
これらに感謝の気持ちで捧げられるお供え物

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↑お菓子で作ったお供え物

トイレや水道の上にもあります

飲み物のためにお湯を沸かそうと水道をひねったら、
コマンが「あっ、まだダメです!
お供え物をあげていないから、よくない水が出てきます」
と使うのを待たされます。

車だってそうです
ツアーに出かけるときも
お供え物を捧げて、
「一日無事でありますように」と
お祈りを済ませてからでないと
出発できません

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戸口や道端など地面においているのは、
悪霊から身を守るためだそうです
悪霊はいつでもどこでも、うろうろと徘徊していて、
お供え物がなかったら、怒って侵入してくるとか


でもこんなに丁寧に作られたたお供え物も
たった1日だけで捨てられます

人が知らずに踏んでしまっても、
鶏が突付いて蹴散らかしても、
どうってことはないようです
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今日のものは今日作る
明日のものは明日作る

今あるものは次の瞬間、もう存在しない

チベット密教の砂曼荼羅のように
どんなに長い時間かけて精密に作り上げたものでも
なくなる時は一瞬にしてなくなる

バリの人達の考えは
”それでいいのです”

こうして繰り返し、
何度も何度も人の手によって作り上げられては
捨てて、また作る…

バリの人にとって重要な事は
いまこの時の
一番大切な祈りを織り込んだ”生”のもの
神様に捧げるということなのですから

今日はお供え物の話になりましたが、
次回は「アユちゃん」のことを少し書きます


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【2007/02/18 15:47】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(10)
『マス村』工芸の生産状況視察
『マス』は15世紀以来の伝統を持つ
木彫りの村です。
比較的大きなお店は街道沿いにたくさん並んでいて、
なかには国宝級の有名な彫刻家の作品もあります。
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その中には、ん百万円、ん十万円もする作品もあります

『マスの村』はその街道からわき道に入った
田園風景が広がる素朴な村です
家々の軒先で家族揃ってや、
職人が集まって木彫りに打ち込んでいる姿に出会えます
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   仕事するお母さんの横でスヤスヤ眠るあかちゃん
          なんとも、ほのぼの…


この家では家族と職人さんが一緒になって、
オーダーされた
トッケーをそれぞれが分担して作っています。
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*トッケーはインドネシア語、英語で:ゲッコーと言います
バリ名物の体長30cm位の大型ヤモリ
夜、部屋に遊びに来ては突然おっさん声で
エェエエェエェ~~~トッケィ~トッケィ~トッケィ~~~~
と鳴くあいつ…です 
気をつけないと、寝ている頭の上からピィシャ~ンっと
…あいつのオシッコはネバネバで臭い!


お客様の先生が、
ワヤンに
1日どれほどの数を仕上げるのか?
雇われた職人さんの賃金はおよそ幾らくらいなのか?
ひとつの仕上がった木彫りは幾らで買い取られて、
雇い主はどれ程の儲けがあるのか?

などの質問をされます。
ワヤンは一生懸命その工房の持ち主に質問しては
答えています。
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…私は先生の顔の表情を探りながら、
ワヤンの言葉で理解されているか、
なんのこっちゃ???と思われてるか
内心ハラハラ…ハラハラ…

この”トッケー”ひとつ7千ルピア(90円)で買い取られていきます。
職人さんには
ひとつ仕上げて支払う賃金は3~4千ルピア(40円~)。
材料の木や色づけの塗料などの値段を差し引いて、
雇い主の儲けは、ひとつに付き1千ルピア(13円)!
なんだか、ため息が出ます…はぁ~~~~~


こちらの工房では、
何人もの職人さんが集まって
ひとつ仕上げれば幾ら、または1日働いて幾らの賃金を貰うなど
選んで仕事をしています。
20070214113304.jpg


だいたいの質問のパターンを読み取ったデワが、
先回りして、職人さんに聞いてきたようで、
先生が「ここではだいたい1日の賃金は幾ら位なんでしょうね?」
とワヤンに尋ねられたら、
横からデワが、すかさず
「3万ルピア(400円)です。私、今彼らに聞きました」
得意そうに答えます
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ワヤンは内心・・・・のよう…

ワヤンも元々は木彫りの職人さんでしたし、
家族の親戚も皆一応木彫りの仕事に携わっています。

そこでワヤンのファミリーの中で
トップクラスのアーティストと言われる
ワヤンのおじさんに会いに行きました。

”お~~なるほど!見るからにアーティストだ!”
というサイババ風貌のおじさん。

私達がドヤドヤ押しかけても、一向に動じることなく
黙々と彫刻に専念しておられる。
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このおじさんの彫る彫刻は
1ケ月または2ケ月、時には3ケ月をも費やして
精密で大きな芸術作品を仕上げていきます
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    おじさんはこんな”何でも屋”もやっています


殆ど、ヒンドゥー教の神話や
古代インドの叙事詩の一節を題材にしたものが多いのです
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3ケ月を要した作品は日本円でおよそ、
20万円もの値が付けられます

私達は一斉に尋ねました
「本当にそんな値段で売れるの~~??」
「誰が買うの?」
「どういう流通経路でそれは買っていかれるのか?」

このおじさん、私達の日本語判っていたら
”な、なにを。。。失敬な!
私の作品にその値打ちを見ない。とおっしゃるのか!”と
きっと、言ったかな…


この作品は古代インドの叙事詩
「ラマヤーナ」のストーリー
あのケチャダンスで演じられるラーマ王子とシタ王女の恋物語の一節

王女シタが魔王にさらわれ、
ラーマ王子に助け出されるまでの間、
シタ姫が魔王の側で過した何日間の日々のことを
「本当はその間に何があったのだ!」
と王子が嫉妬して王女に問い詰めているシーンを
彫り上げたそうです。
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そうか、おとぎ話の結末はいつもハッピーエンドで、
王女と王子は結ばれて”めでたし、めでたし”と
思っていたけど、そんなリアルな揉め事もあったんだ!
と初めて知りました


「わぁ~まさに芸術家ってタイプね」
「売れるものを作るのではなく、
作りたいものを作っているんだね」
「周りでこんなにうるさくしていても、
寡黙でニヒルだしね」

ワヤンの質問にも作品に取り組みながら、
ぼそぼそと、表情も変えずに答えているおじさん。


みんなが「かっこいいね!」って褒めちぎっています。

私も”へぇ~~ワヤンの親戚にもこんなクールな人がいたんだ~”
と感心しながら
無表情だけど、味のあるおじさんにカメラ向けて、
「おじさん、写真!」って叫んだら
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”わぁ~!やっぱりワヤンのおじさん!”


後日わたしはちょっと気に掛かることがあって
ワヤンに聞きました

「ねえ…ワヤン,マスの村の木彫りの職人さんは
だいたい1日3万ルピアもらうのでしょ。
ということは25日働いたら約75万ルピア(1万円)の給料ということになるね。
本当にそんなに貰うの?」

職人さんの賃金って
てっきり低いものだと思い込んでいたものですから

ワヤンは言います
「はい、そうですよ。
時々もっと頑張る人は、もっとたくさん稼ぎます。
あの人達は、お金は持っています。
でもね、
どこにも行かず、違う服も着ず、違う世界の人と話もしないで
毎日あそこで木だけ彫っています。
私もラグラグで働く前は、毎日木彫りが仕事でした

もしガイド辞めたら、またあそこで木を彫るでしょうね。

でも今はラグラグでガイドを一生懸命がんばります。
外に出て、色んな人と話すのは楽しいです。
知らない事経験するのも楽しいです
お客さんが喜んでくれる顔を見られるのも嬉しいです。
だから私はラグラグのガイドの仕事が大好きなのです」

お給料の事で引け目を感じている私が
それとなく質問したことに
そんな答えで気遣ってくれるワヤン。

あなたは「かなり日本語の上手なガイド」には
ちょっと足らないけど、
”ガイドの心を持ったガイド”
バリのなかであなたが一番よ!!

ありがとうね!



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【2007/02/14 11:55】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
日本語のかなり上手なガイドを探して!
バリ島ではひとつの村で、ひとつの工芸を生産する
すなわち「一村一芸」が行われています。

銀製品…チュルク村
バティック(ろうけつ染め)…トパティ村
木彫り…マス村
石彫り…バトゥブラン村
絵画は…ウブド
のように

東京の旅行代理店の方から、
『お客様(大学教授)から
「バリ島各村の手工芸の生産状況を視察したい」と言う
ご希望があります

この視察は専門調査になるため、
”かなり日本語の上手なガイド”をよろしく』との依頼でした。

ムムム…?かなり日本語の上手なガイド…?

この依頼を私は日本にいる時にお受けしたので、
バリのラグラグに何度も
「日本語のかなり上手なガイドを探して~~!!」と叫び続けました

ラグラグのガイドのワヤン。
彼は「の、は、に、を、へ」がかなり怪しい
たくさん日本語は知っているのですが、
時々「バリでは、どこでもお祭り行いする
すなわち、まずはお祭りの、”ンジェニン”名前です」
…なんのこっちゃ!?

全然分からないですね!
言いたいのは「バリではどこでもお祭りが行われます。
今行われているお祭りの名前は”ジェニン”です」

最近どういうわけか
”すなわち”という言葉を覚えたらしく
頻繁に、話の接続詞に使うので、
それ”すなわち”と違うで!と言いたい事がしばしば…

じゃあ「ラグラグのガイドは意味不明の日本語ガイドか?」と言うと
それは違います!
話が長くなると、順番が狂ってくる事はありますが、
これだけ日本語話せたら、
日本人とは
十分コミニケーション取れます。
ちょっと言葉の足らない所は、
優しい気性、細やかな心配り、責任感の強さ、
真っ白い歯を見せて、こぼれる素敵な?笑顔で
人を癒してくれること
大きな得点ゲットになります!
20070210213919.jpg



そして何よりワヤンはバリの文化、宗教、歴史の知識に長けた人で、
マジックやレアックや神様の話をさせたら天下一品なのです
ワヤンをちょっとフォロー

「かなり日本語の上手なガイド…」探しですが
ラグラグ・オフィスのすぐ近所に小さなレストランを経営していて、
JTBでフリーのガイドもやっている
”カトゥ”さんに
白羽の矢が…

まだ若いのに髪の毛がかなり薄い”カトゥ”さんは
物腰も上品で、あまり面白みはありませんが
「まじめ」そのもので
JTBの日本語ガイドのコンテストで1位になって、
褒美の「日本への観光旅行」をゲット
去年初の日本旅行へ行ってきたという
鳴り物入りガイドさんです。

最初は二つ返事で
「いいよ!」って言ってくれていたのですが、
約束のツアーの4日前になって

急にJTBからお呼びがかかり
こちらの”助っ人アルバイト”をキャンセルされてしまいました
…ガックリ! and クソッ!

大丈夫! こちらはまだ
「日本語かなり上手な…」の在庫があります

日本に3年住んでいたことのある、
以前ラグラグで働いていたニョマン
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           デワ      ニョマン


それからまだ日本へは行ったことはないが、
発音がきれいで、容姿もきれいな
トゥガナン村のコマン…
20070210213957.jpg
           
          ワヤン      コマン


色々候補を立てていたので
楽観していたのですが、
運悪く
急に大事な用事ができたりと、
日程が合わず
みんなボツになってしまいました


結局”すなわち…”の好きなワヤンと、
そのワヤンの話の前後が狂いだした時に、
フォローして通訳する私とでタックルを組んで臨むということで
「OK!」を頂きました。


この教授の先生様、
お会いするまでかなり気構えて、緊張していたのですが、
おおらかで、優しいお方で、
デワ、ワヤン、私の”ズッコケ三人組”を
温かい目で容認して頂いているご様子でした

このツアーを企画、依頼してくださった
旅行代理店のスタッフの方もおふたり
教授の先生に同行されて来られたのですが、
このお二人も、
とてもお仕事でいらしてるとは思えないような
リラックスなご様子でバリを満喫なさっています

日本でこの依頼をお受けした時は
「お客様は
バリ島の「一村一工芸」に非常に関心があり、
それによって各村が
どのように村おこしに取り組んでいるかを視察したいとの事です

通訳ですが、”くれぐれも日本語の上手な通訳”をつけてください。
目的は買い物ではなく、あくまでも視察です。
後でお客様からクレームがあると困りますので…」

と重ね重ねのお達しがありましたので、
内心”どんな厳しいお方が同行されてくるのだろう…”
とビビリまくっておりましたのに、
お会いしたら、お二人とも
穏やかで、”人の善い”を絵に書いたような
お顔と話し方で
終始”キャッキャ…ゲラゲラ”と冗談言って
は笑ってらっしゃる方達で
私の引きつっていた顔はお会いした途端、
緩みっぱなし…

「くれぐれも日本語上手なガイド…」


「…あの~~…ワヤンと私の共同通訳ということで
いかがでしょうか…??」
おずおず尋ねた私に

「ああ、それはいいですね!
楽しそう~~♪♪」
…ああ、よかった!いい方達!!…やれやれ


先生、旅行代理店の方、
先生のお弟子さん、
ワヤン、デワ、私の総勢6名で
『バリ島各村手工芸の生産状況視察ツアー』
へ出発です

すっかりワヤンとも打ち解けられて
「じゃあ、ワヤンの村の名産から案内してもらおうかな」
とおっしゃて…

ワヤンは
「ハイ!!私の村なら、お任せください!」
と言わんばかりに胸を張って
意気揚々と歩き始めました

ワヤンの村は木彫りの中心地として有名な
『マスの村』にあります
村の表通りも小道に入っても
木彫りの店や工房が並んでいます
子供から年配のベテランまで多くの職人達が
真剣な顔つきで、足の間に置いた木を彫ったり、
サンドペーパーで仕上げの磨きをかけたりしている光景に出会います
白檀やマホガニーなどいろんな種類の木が使われて、
一枚の木の板を立体感のある絵のように仕上げていく技もあるし、
一本の木を彫り上げていく手法など様々。
ヒンズーの伝説や神々、
動物や花など
何ヶ月もかけて繊細で美しい彫刻が誕生します
マスの村を歩くと
木のいい香りがどこからも漂ってきます
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次回に続きます



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【2007/02/10 22:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(13)
「再生」への旅立ち
前回、「友達の死」の知らせを受け

重いテーマだったと,思いながら…
あえてその事を載せさせてもらいました。
心に閉じ込めたまま、先に進めませんでした

それでもコメント頂いたり、
直接メッセージもらったりで、
温かい励ましを頂きました。

ありがとうございました。
それに気遣わせてしまってごめんなさい。


コメントやメッセージや電話を頂いて、

「死」ということは
決して重いだけではないということを知りました

それぞれの人の中に
「自分の死」をも含め、
「大切な人との死や別れ」に対して
向き合っていく心の準備や、
哲学を持っておられます

またそれを迎えた人のために、
ちゃんと温かい手や心を差し伸べ、
言葉や考えを伝えるすべをも知っておられることにも
深く考えさせられました


「生」と「死」は生きるものには切っても切り離せられない
大切なテーマです。

「死」から「生きる」を学びます
「生」から「死」を意識します

バリの人は言います
「悲しみ過ぎると
亡くなった人の霊は神様の側の、
いい場所にいけなくなるから、
もう悲しまないであげなさい」

「人には自分では決められない
寿命がありますから、
しかたありません」
と非常にあっさり死を認めます

…しかしどこの世界でも同じです
悲しみから立ち直れない人達だってあります

まだ若い子供を突然亡くした親や兄弟は
死を受け入れられなくって、
霊媒師のもとを訪れ、死者と最後の会話をする人達もあります…

『魂』が迷わないよう見送ってあげる
だからバリの葬儀は
明るく賑やかな葬式になることを歓迎するので、
できるだけ盛大に行います

盛大に行うといっても、
普通の生活レベルの人達にとっては
すぐに盛大なお葬式はできません

葬儀費用を作るのに最低でも、2,3年はかかります。

だから一旦土葬され、
葬式ができるまで土のなかで眠って待ってもらいます。
そして葬式ができる時がきたら
遺体を掘り起こし火葬します
たいていは自分の村で何人かすでに亡くなった人達と同じように
ある程度の人数になるまで待つなどして
合同で火葬式を行う事が多いのです
20070207194531.jpg


時には50人まとめて
5年に一度の村をあげての大合同火葬式を行う事もあります

そういう意味でも、
亡くなってから、2年も3年も経っているものですから、
悲しみも薄れ、
家族も村人も笑顔でベチャベチャ、喋りながら
またガムランの音楽も聞こえてくる賑やかな
お祭りのようなお葬式になります

勿論観光客だって自由に参加できます。
たくさんの人が溢れかえって、
物売りまでもが現れ
飲み物やサテ、フイルムや使いすてカメラやサルン(腰巻)など
観光客相手に商売する人もいます。

20070206221557.jpg


土から掘り起こされた遺体は、
豪華絢爛に飾られた張りぼての牡牛の棺に収められ火葬されます
…下と中(クサトリア階級とウェシア階級)の階級は黒い牡牛の棺
一番上の階級(ブラフマナ階級)には白い布をかぶせたりして
白い牡牛の棺…を使います
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めらめらと立ち上がる
赤い炎に焼き尽くされて残った骨は
海や川に流され、自然に還っていくのです

土、太陽、風、火、水を経て
魂は天空界へ還ることができるのです

バリでは「死」は次の「転生」のための
新たなる始まりになります
だから盛大に明るく賑やかに見送ることが大切なのだと言います
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↑”櫓…やぐら”の建っている数だけ遺体が並び火葬されるのを待っています


「死」は誰だって悲しいに決まっている
でも
肉体との別れはあっても、
魂とはまた会えると信じる思想は
「死」の悲しみや、恐れを
少しでも和らげ、納得させてくれます

新しい旅立ちのための
出発式なのだから



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【2007/02/06 22:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
突然の…
突然…悲しい知らせを受け取りました。

私の友達が亡くなられました。
交通事故です。

私はバリと関わって随分なるのに、
バリにいる日本人の友達は誰もいません。
いつも私の側にいるのはバリ人ばかりです。

当然バリにいるのだから、
バリ人のなかにいるのは当たり前なのですが、
時々、一人で抱える問題や迷い
誰かに話したい時、
バリ人にそのこと話しても、

「よく分かります」と言ってくれても、
伝えきれていないのが分かります

言葉の問題も踏まえて、
立場が違うのですから無理からぬありません。

どんなにいいバリ人ばかりに囲まれていても
時々日本語の微妙な“ま”で心の話をしたい時があります

2年ほど前から少しずつお話しする機会があった
I氏
ほんとうにゆっくりゆっくり近くなりました。

私のバリでの状況や立場、
バリへの思い、自然に背中を押されたように知らない間に
バリの中に立っている私そのままを

まるで紙に書いて貼り付けたように
その人もそんな感じでバリのなかにいました。
同世代、同じ言葉を持った人
多くの言葉は必要ありませんでした

寄りかかるわけではありませんが、
大きな安心を覚えました

私より一足お先にリタイアして、
穏やかな顔と言葉を持って、そこにおられました。

私にとって初めてのバリに住んでいる日本人の友達です。

その人が語った言葉、
何も尋ねていないのに、
私のなかで探している答えのようでした


いつか私も誰かに語るとき
その人と同じ言葉が私の深いところから
でてくるような気がします


「バリの自然の中でじっとしているとね、
時々
”ああ、自分はこのバリの自然の一部に入れてもらっている”と
感じる時があるんです。
そう感じられた時、
すごーく嬉しくってね」

「若い時は、そんな事思ったこともなかたったし、
どちらかというと、
人を避けて生きてきたけど、
こうしてバリにいるとね、
人から”好かれて生きたい”と思うようになってね」

20日前にお会いした時
その人は、
そう言われました。

「今度ゆっくりご飯でも食べましょう」
と約束して別れたまま…


バリの村の人々の手によって、
2月9日バリ式の火葬式がおこなわれます

紛れもなく”バリの一部”になられました
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ご冥福をお祈りします

【2007/02/03 22:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
バリの空に星は満ちて


神々の島「バリ島」に魅せられて! 神様の事、レアック(おばけ)の事、バリには不思議がいっぱい! 温かい大自然と調和するバリの人達の自然な生き方。 輝く笑顔がある

プロフィール

ラグラグ★いつ子

Author:ラグラグ★いつ子

初めての海外旅行が衝撃の”インド”
地の底を見たような、カルチャーショックを受けつつインドに惹かれて通いました。
何故かそのまま自然に、インドからバリ島へと導かれるようにこの地を踏んでいました。

”ああ、ここは天国やわぁ!”

気が付いたら何かに背中を押されたように、バリの人達とツアー会社を始めて10数年。
いつの間にか、バリの奥へ奥へと入ったまま、もうここは紛れもない私の場所なのか・・・

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