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存在感を持った食器「ジェンガラ・ケラミック」
少し前の記事「サヌールにエール!」でご紹介したレストラン
Cafe Batujimbar(カフェ バトゥジンバール)…では、食器はぜ~んぶ「ジェンガラ」を使っているのですよ、ってご紹介しましたね

サヌール・カフェ・ジンバル
↑ Cafe Batujimbar(カフェ バトゥジンバール)


バリでは、随分昔から、高級レストランや高級ホテルが使う食器は
「ジェンガラ」のもの、と決まっていたほど、有名な陶器…
サヌールでのお話の最後に「ジェンガラ」のことを書きますね

ちょっといいレストランやホテルで食事したとき
お皿を持ち上げて「やたら重たいな~~」と感じられたことがあると思いますが

不思議と目につくというのか
存在感を持った食器、それが「ジェンガラ・ケラミック」

この「ジェンガラ・ケラミック」
1976年、ニュージーランド人の陶器デザイナー・ブレンヘスリン氏(Brent Hesselyn・1950-2002)とインドネシアのホテル経営者(Waworuntu父娘)によって創業されました。

hesselyn.jpg
↑陶器デザイナー・ブレンヘスリン氏

それ以来、世界各国から優れた陶芸家やデザイナーが 参加して、
シンプルで独創的な陶器がつくられてきた、という歴史を持っています


そしてこの「ジェンガラ」の窯元が初めてお店をオープンしたのが
サヌールでした
「サリブミ」という名前の小さな食器店として1軒だけ登場しました

本当に随分昔、お客さんが
「サヌールにある、サリブミというお店に行きたいのです」
と言われたのですが、

それは何のお店?サヌールのどこにあるのですか?

その頃、私はまったく情報を持っていなくて、
どこだ、どこだ?!と
サヌールの街を、あっち行ったり、こっち行ったりで探した末に辿り着いた小さなお店

かわいいデザイン、ぽってりと重みのある陶器
ああ、これは「カフェ・ロータス」が使っている!
前から、欲しいな~と思っていた、
淡いブルーのキャンドルスタンドや調味料入れ

ここの陶器だったのか~~と感激したものでした

いつの間にか、多くの人を魅了した「ジェンガラ」
数年前には、ジンバランにも
Jennggla Keramik「ジェンガラ・ケラミック」という大型店舗をオープンしたのです

娘
Jennggla Keramik「ジェンガラ・ケラミック」のオーナー。
彼女はブレンヘスリン氏と共同で創業したインドネシアのホテル経営者の娘の「Ade Waworuntu」さん

モダンでセンスのいい大きな店内には

華やかな色彩の棚に、さまざまな食器や花瓶や灰皿など
3500種類もの商品が美しく並び、夢溢れたディスプレィは見事です

今や2500のデザイン&200色のカラーバリエーションがあるとか

最近は、禅スタイルのデザイン、、デザイナーに日本人デザイナーも名前を連ねていて、同じデザインを造りつづけるだけでなく、ジェンガラのイメージを守りつつ常に新しいデザインにも挑戦しているのでお店に行くたびに新しい発見があります。
bamboo-bath.jpg
↑バリ島で最もおなじみの植物『竹』から、デザインした洗面グッズ

写真撮影はダメですよとカメラを向けた人は注意されますので、気をつけてね

プリバユ&ジェンガラ 002
↑私も買ってきてラグラグ・オフィスのカウンターに置いてみましたが、あまり似合わないですね

ジェンガラ(デルタ)
↑これはウブドのスーパーマーケット「デルタデワタ」の陳列ケースにしっかり鍵を掛けて売られています
乱雑なディスプレイにジェンガラのオーナーが見たら泣きますね

きれいな色と独特の厚みを持ち、
蓮やバナナの葉っぱの形をモチーフに柔らかな曲線を描いたお皿
葉っぱ

ちっちゃなカエルがちょこんと座っていたり
象やカメのかたちのポットやカップ
巻き貝や、花をモチーフにしたりと、
バリ島の女神や豊かな自然や生き物などをモチーフにユニークで 遊び心に富んだ陶器は
よけいに親しみをもてるし温かい

こんなのを家の食卓に並べて、こんなお料理で盛り付けして…と想像して
重いのについ買ってしまうんですよね


女神




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お断り:機内にあったガルーダの雑誌から写真と記事を抜粋しています
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【2009/08/30 12:38】 | 未分類 | コメント(4)
巨匠を取材する女性に魅せられて
『バリの古典舞踏の巨匠たち』のお話は、前回で終わりましたが

そこで出会った女性に魅せられ…
少し彼女のことを書きたくって、追加です

ワークショップの時に”グス・アジ氏の側で何かとお世話されている
バリの衣装を身にまとった白人女性

細身の体に妙にバリの衣装(クバヤやサルン)がよく似合っているので
彼女もバリの踊りを習っている人かな~と思っていました

バリの衣装は、バリ人と体系的に似ている日本人なら
バリの衣装を着ても、比較的しっくり馴染みますが

白人の体系、髪の毛や目の色とバリの衣装は、どうも似合わない
白人が日本の着物をを着ているような感じですね

でも、多分、彼女はバリの衣装を着慣れてた生活を、長くしているんだろうな~と思わせるほど
姿勢や身のこなしと、バリの衣装が自然に溶け合っていました

ニコニコ素敵な笑顔を、私たちに向けながら話しかけてきてくれたので

「あなたも”グス・アジさん”のお弟子さんですか?
バリの踊りを習っているのですか?」
 と尋ねたら

「踊りは習ってないの。私はレポーターよ
”グス・アジ”氏の側で、彼の芸や生活を取材をするために、バリに住んでいるの
そう…もう~2年になるかしら・・・」


と話してくれました
その彼女の表情から、つつましやかで、穏やかな平和を感じ取れました

ワークショップIMADE


バリ・ヒンドゥーの中に生きる
宇宙を含む大自然と人間の善悪のバランス

バリの長老がよく言ってくれる言葉に

「さまざまな人がいて、人にはそれぞれの役割がある
補い合い、お互いを認め合う
そんな全体としてのバランスがとれていることが大事なんだ
特別なんかいらない、普通でいいんだよ」


…と、とても優しいバリの思想


波や風のような、自然界の音のように聴こえる音楽も
宇宙のあらゆるもの、人間の内面、神からのメッセージや物語を
身体表現を通して伝える踊りも、
こんなに心地よく感じるのは
このような思想が根底に流れているからなのでしょう

座る扇子

バリの伝統芸能の中に流れる本来の意味を知り、
哲学を持って生きている”グス・アジ”氏のような人の側で触れていると
あんなに柔らかで、バリの優しい空気を身につけるようになれるんだろうか

それだけではなく、
彼女の純粋にバリの芸能を愛する心、究めた匠を知り得たいという心を持つ人だからこそ
平和な輝きを、内面から放つことが出来るのかもしれない



ほんの少しの時間でしたが
彼女から不思議な感動を覚えました

まだバリで自分の居場所を模索している私には、羨ましい気持ちにもなったのです





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【2009/08/23 16:53】 | 未分類 | コメント(4)
誰が自分を躍らせてくれているのか…
グイグイと一寸の隙もなく自分のペースに集中させていく
厳しいイブラカ女史の真に迫ったお稽古のあとは
…彼女のレッスンを受けたら、才能ある子はめきめき上達するでしょうね…

打って変わったような、物静かな物腰、優しいまなざしの
イダ・バグース・オカ・ウィルジャナ氏…通称「グス・アジ」のお稽古が始まりました
レッスンを受けているのは
グス・アジ氏のような線の柔らかい、上品な少年?…青年かも


お稽古をつけていた舞は
「クビャール・ドゥドゥック」

ワークショップIMADE


「クビャール・ドゥドゥック」のドゥドゥックとは「座る」という意味で、
立ったり座ったり、時には中腰の姿勢で長く踊るので
強靭な足腰が求められます
扇子を手に、長く残した腰布の裾をはためかせ、
座る時はその裾が美しく床に延びなければいけない。
など高度なテクニックを要する舞なのです

ドゥドゥク


雑誌からの抜粋になりますが

「バリで良い舞踊家の条件は3つ。
まず踊りがその人本来のキャラクターに合っているかどうか、
次に衣装を着けて舞台に立った時に輝いて見えるかどうか、
最後に踊りの技術」
グス・アジ氏は言います

普段目立たなくても、舞台の上に立ったときから
光り輝くオーラーを、内面から放つ姿が大切で
技術は二の次だとか


グス・アジ氏が20代〜30代のころ
当時の初代スカルノ大統領に気に入られ、ジャカルタの官邸にたびたび踊りに呼ばれます

その時「お金ではなく友達を増やしなさい」とスカルノ大統領に言われました
彼はその言葉を忠実に守って生きて来たといわれています

年齢、国籍を問わずたくさんの友達を持っていて、
潔いほどに金銭や持ち物に執着をしませんでした

彼から稽古をつけてもらった舞踊家が、差し出す謝礼も受け取ってもらえないので
困惑した、というような記事がありました

そしてグス・アジ氏は言われたそうです

「30分踊っていくら、1時間教えていくら、なんて考えていたら
良い結果が出るはずがない。
誰が自分を踊らせてくれているのかを忘れたら、
その踊りはテクニックだけのつまらないものになってしまう


扇子

やはり芸を究め、それなりの歳を重ねた人のなかには
揺るぎない哲学が根付いていくのでしょうか
それとも
そういう哲学を持った人だからこそ、
芸を究めることが、できたのかもしれないですね

今回の『巨匠達の特別公演とワークショップ』の持つ意味は

昔の名声と、伝統を頑固に押し付けようとするのではなく
移り変わる時代と歩調をあわせながら
そして、いまなお現役で舞台に立ちながら
これからバリ舞踏の未来を背負ってたつ踊り子達に、
古典舞踏の精神を継承しようという気迫のアプローチなのです

そして、バリの伝統的社会、伝統芸能のなかに流れる
「神とともに生きる」哲学に
改めて深い感動をおぼえました

”誰が自分を躍らせてくれているのか”を忘れたら
その踊りはテクニックだけのつまらないものになってしまう







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【2009/08/16 16:09】 | 未分類 | コメント(1)
「私がここにいるうちに、すべてを渡さなくては」迫力のワークショップ
前回の続きです

roby.jpg

サヌールの老舗ホテル「タンジュン・サリ」で行われた
ディナーショー「古典舞踊の巨匠達の特別公演」

dancer-foto.jpg

その翌朝、巨匠たちから直接教えていただけるワークショップがあるということで、
わたしたちは、初体験の挑戦に

”え~~どうする?受けてみる?”
”バリダンスなんか、やったことないのに、できるかな~”

”ドタバタするのもカッコ悪いしぃ~~”
”でも、昨夜の巨匠に教えてもらう…こんな機会は滅多にないことやし…”

迷ったあげく意を決して…とりあえずはサルン巻いて…

ところが、思惑とは違った光景が

イブ・ラカ女史の厳しい稽古を受ける少女達
ピーンと張りつめた空気
才能ある未来の踊り子の後ろに回り
からだを押さえたり、手を引き上げたりしながら型を教え込みます

厳しい目


「ダダ~~ディディ、ダ~~ダ~~ダダ!!」とガムラン演奏を声で音をとりながら、
少女のか細い足を、なんのためらいもなく
『それ違うでしょ!ほら、こうでしょ!』と言わんばかりに、
ごくごく当たり前のように”ビシッ”と蹴ります

ワークショップ少女

彼女いわく
「才能のある子はすぐ分かるわ。足元が決まる子は上手くなるわね」ですって…

側で叩くガムラン奏者にも迫をかけながら取り組む
イブラカ女史のワークショップは見ごたえあり、
恐れ多くも彼女からレッスンを受ける、
という意欲はうせてしまうほどの緊迫感に圧倒されました

凛とした姿勢には
「私がここにいるうちに、すべてを渡さなくては」という

次の世代の舞踏家に、”バリ舞踏の精神”を伝えていくこと
というイブラカ女史の強い使命感がにじみ出ていました



イブラカ女史のワークショップの後は

イダ・バグース・オカ・ウィルジャナ氏…尊敬を込めて「グス・アジ」と呼ばれています
もう80歳だそうですが、歌舞伎役者のような気品ただよう、たたずまいは
とてもそんなお歳とは思えません

グスアジ

記事が長くなりますので、次回にアップします

グス・アジ氏にまつわるお話は、なかなかいいお話ですので
是非読んでくださいね






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【2009/08/09 15:40】 | 未分類 | コメント(0)
本物と本物の融合は、本当にすごい!
”タンジュン・サリ”のホテルで催された
『特別公演』の面々は下記の経歴を持つ
バリの伝説のプリマドンナとプリンシパルたちの踊りを、いっぺんで見られた、
というのは
バリの舞踊関係者ですら目にすることができない、大変貴重なものだったそうです。

フィナーレ


イダ・バグース・オカ・ウィルジャナ 1929年ギャニャール県ブランシンガ村に生まれる。1952年から大統領官邸の舞踊家として活躍

イ・グスティ・アユ・ラカ・ラスミ 1939年ギャニャール県プリアタン村に生まれる。1952年のプリアタン歌舞団の海外公演に参加し、その後も活躍

ジェロ・マデ・プスパワティ 1933年バドゥン県クシマン村に生まれる。1950年代初頭からスカルノ大統領府の舞踊家として活躍

ジェロ・ガドゥン 1934年タバナン県に生まれる。1950年から大統領府の舞踊家として活躍
ニ・クトゥ・アリニ 1943年デンパサールに生まれる。 1961年、国立芸術高校在学中にはすでにバリ島外で定評を得ていた


という事が、書かれていましたが、
私が聞いたことある名前は
イダ・バグース・オカ・ウィルジャナ氏位で、
彼の写真も何度か雑誌などで見た記憶があるくらいで
他の方の名前は知りませんでした

こんな貴重なバリの伝統芸能に触れる機会をもらったので
ちょっとは知っておかないと、と思って
本や雑誌などの記事を探していると
バリ舞踏の歴史も少し見えてきました

1950年代初頭、
初代のインドネシア大統領スカルノは
当時のバリ島を代表するスター舞踊家たちを
ジャカルタの官邸にたびたび呼び寄せ踊りを鑑賞したそうです


建国間もないインドネシアを海外に広く知ってもらおうと
大統領官邸専属の舞踊家として
また
外交使節団の一員として
海を渡り、世界各国を巡っては、バリ舞踏の公演を行いました
優美なバリ舞踏は訪れた各国から高い評価を得て
公演は大成功を収めといわれています

彼らの魅惑的で「神との一体感」を喜びとする芸は
世界の人々の心を揺さぶり魅了します
彼らの功績によって
バリ島の名が、世界に広く知られるきっかけとなったということです



ご飯

踊りが終わって、用意されたディナーを頂きながら、
観客が憧れの往年のスターに話しかけたり
一緒に写真を撮ったりと、彼らの席にお邪魔します

ダンス巨匠ディナー


私たちもご多分もれず、
「写真一緒に撮らせてください~~」
記念撮影させていただくと、

「あなた達は日本人ね。
私は日本に5回くらい行きましたよ
…そう、3ケ月くらい滞在してたのよ
東京、名古屋、広島・・・」
と訪れた地名を嬉しそうに連ね

気さくに話しかけてくれます

女巨匠ディナー


それからこの夜、大活躍だったのは
踊りの流れと一体となって、ゆるやかな調べから激しい迫力に富んだリズムで
踊り手と一体となり舞い踊ったガムランの調べに大感動

ガムランと踊り


ガムランを叩くその手さばき、からだごと楽器の中に魂を埋めるかのような動きに
鳥肌が立つくらいの震えを感じました

ガムランGP
↑ど迫力のガムラン・グループ


ガムラン巨匠
      ↑「素晴らしい演奏でした!写真を撮らせてください」とお願いしたら、
      ”彼の写真を撮りなさい。彼は40年の経歴を持つガムラン奏者の巨匠だよ」と

本物と本物がぶつかり合い,ひきつけ合いながら融合する芸術は

ほんとうにすごかった!






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【2009/08/02 15:27】 | 未分類 | コメント(2)
バリの空に星は満ちて


神々の島「バリ島」に魅せられて! 神様の事、レアック(おばけ)の事、バリには不思議がいっぱい! 温かい大自然と調和するバリの人達の自然な生き方。 輝く笑顔がある

プロフィール

ラグラグ★いつ子

Author:ラグラグ★いつ子

初めての海外旅行が衝撃の”インド”
地の底を見たような、カルチャーショックを受けつつインドに惹かれて通いました。
何故かそのまま自然に、インドからバリ島へと導かれるようにこの地を踏んでいました。

”ああ、ここは天国やわぁ!”

気が付いたら何かに背中を押されたように、バリの人達とツアー会社を始めて10数年。
いつの間にか、バリの奥へ奥へと入ったまま、もうここは紛れもない私の場所なのか・・・

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