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少年『ニョマン』の未来への脱出
『ヌサ・ペニダ』の話が長く続きましたが

それは先日
ラグラグで以前働いていた
『ヌサ・ペニダ』出身の「ニョマン」
オフィスにやって来て
「すごくきれいな所を、見せてあげたいんだけど、
”ヌサ・ペニダ”へ今度一緒に行かない?」


と誘ってくれた事から
20070422220023.jpg
↑ニョマン&デワ


初めて『ヌサ・ペニダ』に行った時のことを
思い起こしながら書きました

書いている間
以前『ニョマン』が話してくれた
彼の生い立ちが島の情景と重なるように蘇り
今日はそのお話を紹介したいと思います

「ニョマン」は7人兄弟の末っ子です

前回にも書きましたが
 『ヌサ・ペニダ』
その昔「流刑地」とされていた歴史を持っているのに伴い、
最高神が棲む「アグン山」のちょうど対峙する位置にあるので、
恐ろしい悪霊の棲み家という悲しい「烙印」も手伝って
人々はきびしい生活を強いられてきました


20070422220917.jpg


私もこの島で「人々は貧しい」という印象はぬぐえませんでした

「ニョマン」の家庭も相当貧しかったと彼は言います
そういう環境の中で、あらゆる面で
7人目の「ニョマン」にまで
気持ちも経済的にも行き届かなかったようです


それより「ニョマン」の言葉から感じ取れたのは
両親も兄弟も、皆それぞれが生きるのに必死だった
”自分の食いぶちは自分で”が幼い頃より、
痛いほど身に沁みこんだ、生きる術のようです

食べるだけで精一杯なもんですから、
お兄さんやお姉さんの何人かは中学へ行った人もいるようですが
末端の「ニョマン」には小学校は行かせても、
中学校へ行かせてあげるなんて事は
まったく親も兄弟も意識すらなかったそうです


どこの世界でも貧しい環境の中では、
そもそも「子ども」でいてもいいという
社会的な「子どもの期間」は短いものです
早く「大人」にならなければなりません


20070422220049.jpg

勿論、小さい頃より魚や海草を獲ったりの
仕事をするのは当たり前でした

ニョマンは小学校を終えた後、
夢も未来もない今の環境から脱出するため
ひとり黙って「家出」をします


なんとか船にもぐりこみ
たったひとり、無一文でバリ島へたどり着きます

初めて降り立った、見知らぬ土地
ビーチで寝たり、田んぼや山の中で寝たりしながら
ウブドまで流れてきました

その間石を運んだり、木を運ぶ手伝いをしたり、
家畜の世話や、畑仕事の手伝いなどをしながら
食べ物を貰って食いつないでいたと言います

12歳の少年の目に何がどんな風に映っていたのか

私には想像もできません

ただ私が
「ヌサ・ペニダ」で出会った子供達の姿から
少年だったニョマンの姿を
ほんの少し想像できる気がしました

真っ黒に日焼けした顔、
おびえながらも逞しい強い光を放った目
ぼろぎれのようなシャツをまとい
裸足で必死で生きる場所を求めて渡り歩いた
彼の姿を…


彼は今29歳ですので、
もう17年も前の時代の「ヌサ・ペニダ」の子供ですから
もっと野性に近かったかもしれません


それでもバリの人々はおおらかなのですね。
全然知らない子供に、
漁獲や畑仕事を手伝わせて
食事を与えたり、寝床を与えたり


その後ウブドの養鶏場で、
鶏の世話をする仕事を貰って、
なんと!…そこから中学校へ自力で通ったのでした

すごいですね!自分の力で中学校へ行った!!!
…話を聞いたとき、胸が押しつぶされそうになりました…

3年間少年は無我夢中で生きたようです

「その間一度も「ヌサ・ペニダ」には帰らなかったし、
連絡もしなかったんだよ」

とニョマンは言います

「へぇ~~!家の人達はニョマンがいなくなって
すごく心配したんじゃないの?
捜したやろうね~」
と言う私に

「う~~ん、そうでもないよ…
どこかで、なんとか生きてるんじゃないかって
思っていたんじゃないのかな~~」

とすごくあっさりと語るニョマンの言い方から

ご両親や兄弟が
突然いなくなった息子や弟に対して、
大騒動になったり、悲しみに打ちひしがれた
という感触は感じませんでした

またそれはニョマン自身の中にも
”家族に逢いたい、故郷に帰りたい”
といった感情はまるでなかった
と言います

…ちらっと彼の中にその環境への
”怒り”のようなものを見た気がしましたが…

20070422220140.jpg




多分、家族にとってもニョマンは立派な働き手ですから、
今帰れば、家のために自分を差し出さねばないだろうと
分かっていたからなのでは…

20070422220158.jpg


3年後に始めて帰郷したニョマンが
家族と涙の再会をしたという風でもありませんでした

なんか、淡々とした彼の話の流れに

 「親と子の絆」「家族の情」という
私の持っている
『ものさし』
この人達の本当の心の奥にあったものは何だったのだろうか?
を探ろうとすると、
なんだか、その「ものさし」に何の意味も持たない
ただの棒のような無力さを感じたものです


『ヌサ・ペニダ』へ始めて訪れてから
もう4,5年になります
島を離れるとき
「また絶対来よう!」と思った気持ちが
いま鮮やかに蘇ってきました


”「ニョマン」と一緒にもう一度行ってみたい!”
20070422220218.jpg




★現在『ニョマン』はハヌマン通りに
おしゃれなインテリア雑貨のお店を持っています。
それでもそのお店へ行っても
彼は滅多にいません
…彼のスタッフが
”ちょっと待ってください”と言って
携帯で探してくれますが…
どうも彼の”放浪癖”はいつまでも抜けないようです


いつも読んで頂いてありがとうございます!
”ポチッ”もヨロシクお願いします♪




【2007/04/22 22:16】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
<<『タマンの家』の人々 | ホーム | その④素朴で優しい『ヌサ・ペニダ』>>
コメント
泣けてきた・・・・・・・・・・
ここでは何もできないから。
10回ポチィっとしといた。
(意味ないね)
【2007/04/23 01:08】 URL | 近所の・・・・・・ #b318LpZM[ 編集]
★近所の…さん

 近所の…さんのコメントで、
また私も胸にジーンときました
なんか胸に詰まる思いを共有してもらえたようで…嬉しいです

「ニョマン」が案内してくれる
ヌサペニダ見てみたいですね
【2007/04/23 23:17】 URL | ラグラグから #-[ 編集]
発展途上国に行くと、日本は体制も環境も恵まれているから国民の自己防衛意識が低いんだなと思う事がままあります。
この記事を読んでニョマンさんのように自分で運命を切り開かなければならないのは非常に過酷で非常に苦労した状況だと思いますが、
それと引き換えに得たであろう強さとたくましさを羨ましく思う自分もいます。
ヌサ・ペニダ、この間海で潜ったけれど上陸出来ませんでした。
いつか上陸してみたいです。

1枚目のニョマンさんとデワさんの写真、とてもかっこよく写ってますね。v-10
ファンが増えるかも???
【2007/04/24 00:19】 URL | しゃお #-[ 編集]
★しゃおさん

 コメントありがとうございます。
いろんな国、とりわけ発展途上国へ行かれる機会の多い人は、最初子供達の姿に衝撃を受けますね。貧しさが生むもの、豊かさが生むもの、どっちが、とか答えはありませんが、
素直な気持ちとして
ニョマンのような少年が、自分の力で
環境から脱出して、自分の未来を開拓した軌跡に、胸に響く感動がありますね
【2007/04/24 14:52】 URL | ラグラグから #-[ 編集]
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バリの空に星は満ちて


神々の島「バリ島」に魅せられて! 神様の事、レアック(おばけ)の事、バリには不思議がいっぱい! 温かい大自然と調和するバリの人達の自然な生き方。 輝く笑顔がある

プロフィール

ラグラグ★いつ子

Author:ラグラグ★いつ子

初めての海外旅行が衝撃の”インド”
地の底を見たような、カルチャーショックを受けつつインドに惹かれて通いました。
何故かそのまま自然に、インドからバリ島へと導かれるようにこの地を踏んでいました。

”ああ、ここは天国やわぁ!”

気が付いたら何かに背中を押されたように、バリの人達とツアー会社を始めて10数年。
いつの間にか、バリの奥へ奥へと入ったまま、もうここは紛れもない私の場所なのか・・・

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